2016年11月16日水曜日

一善



京都への出講日。兵庫県と京都府の境の辺りは何とも紅葉が美しい季節対面通行の田舎道。日本には四季があるのが良いとインドネシアの友人が言っていた。あちらは常夏。

愛車にソロピアノの芸術の極みである新着のCDを持ち込み、車内でまったりと聴きつつ京都へ向けて運転をしていた。ふとバックミラーに違和感をおぼえる。

高齢の爺が運転する軽トラックが異常接近しているではないか!
偶然ではないであろう距離で追走してくる。爺の歯までが見える距離とは言い過ぎか。




ここ数日の高齢者によるドライバー事件は、被害者は勿論、加害者になってしまう事も非常に哀れだと考察していただけに、急ブレーキを数回踏んで脅かして差し上げた。

私の車にあてると、この爺の払うべき金額足るや気の毒に過ぎる上、今後の彼の運転に対して警鐘を慣らして上げた事になる。この優しさとぶつけられるかもしれぬ私の勇気には賞賛を戴きたい。

で、この顔にサングラス状態で振り向いて指を上げたのは少しやり過ぎたのか、その後は異常に距離をとり始めたので、まぁ何よりであった。降りて行って説教も考えたが彼のプライドもあろう。数秒停止のみにした。

一日一善。事故が減ったはずである。
この爺は今後、車間距離の概念を体感し、運転に気をつけることだろう。

高齢者の免許返納も言われているが、
何より大金を払って取得した自動車免許に対して、「返納」には何らかの報酬システムを構築すれば良いと思うが、電電公社(当時8万円だったか?)よろしく戴いたものは返せないという体制に倣う気なのか。
多方で行き詰まりの場当たり感が否めない時代に突入した感は否めない。