2016年1月21日木曜日

シーズンの終了




この時期、勤務する大学の授業が終了してゆく。

非常に優秀な大阪音大での1クラス


毎度言うが、無策な文科省の安易な授業数増やしで無意味な年間6回(15+15)の授業回数が増加のため、現場は役人が想像しているのとは乖離したものになっており、また、それに慣らされる全体主義的な日本が恐ろしいと思わされる。疑問を感じなくなる近代史の軍国主義がそれだ。
先人なりが「12」という数で物事に対処した事が宇宙的かつ相対的に生物の生活に密接に関与しているものなのと思い知らされる気がする。いわく、12時なり、24時なり、1ダースなり、監督を入れて12人になるという非常にバランスのとれた「数字」が「12」なのだと思う。

学生も自分の専攻試験に意思が動き、授業は荒唐無稽な回数こなしの面は否めないよう。あれだけ真面目に受講していた学生の突然の欠席なども、教授側の失意を招き、モチベーションは著しく低下する。このような改悪された教育現場では互いの心もすさみ、近々の若い世代の残虐な事件などにも繋がっていく気は確実にしている。当分継続されることだろうが文科省さんの頭脳と現場の才能が全くもって不一致なのは恐らく優秀な先生方の海外流出を招きかねないように思うのが正直なところ。いちアルバイト講師には無力に過ぎるが安定職が誰ひとりとして動く気配がないのは己の保身なのかもしれない。


京都市芸大の古楽を学ぶクラスの真面目な学生さん


そういえば、関西で時代楽器による古楽演奏を授業で学べるのは、多分だが、京都芸大の私の受け持つ授業のみで、これも残念の極み。留学経験者がいかに大学に少なく、これも欧州の現場と乖離している。バロックスタディは現代音楽の演奏以外には必要な知識の筈であり、関東に著しく劣る点だ。それゆえ優秀で古楽を学びたい若者はまずは東京をめざし、欧州に渡る。なぜそうなるかは自明の理。

まず持って未来は無い分野なのも哀愁があるが、少なからず個人的にはそういう勉強集団も存在している筈なので少しは気が休まるかもしれない。個人的には知らない事を恥ずかしいと思わない人間が跋扈しているの慣習が怖い。