2014年8月12日火曜日

123便事故から29年




多発する航空機墜落事故を案じている今、日航の123便が墜落し、520人という犠牲者が
出た事件から今日で29年が経ちました。
このフライトで、当時の父が、研究者仲間を失った事でよく覚えています。

直前に当時の我が家にその方が来られて、私にも優しく話しかけて下さった
お人柄だったが故に、よく覚えているのだと思います。



当時から「諸説」色々ありますが、原因究明が半ばで終了した事実に対する乗員と乗客とその家族などの無念さを思うと悲惨が過ぎて心が痛みます。人知を超えた想像を超える出来事だったと。



特集番組を観賞していて、新たな事実も分析していました。それにしても、
乗客の多くはディセント(急降下)やダッチローにより失神者していた事がわかったようで、
それはほんの僅かばかりの救いだったのかもしれません。

それにしても現実的な恐怖は想像を絶します。分析番組でもさすがに涙が出ました。
墜落直後には生存者がいたのはわかっています。墜落現場の特定や救出にも疑問があり、
これは現代での方法論でもそうです。
当時でも衛星探査で私の部屋まで見える精度があった筈。


幼少から千回弱は飛行機に搭乗し、落雷、ディセントは経験していますが、確率論は別にして、
運命とはいえ、あまりにも残酷な出来事だったと思います。



最近は2発のエンジンだけでの合理的に長距離飛行可能な機種が増えていますが、日本の空から経営上既に消えた(引退)ジャンボ機である(尾翼を失った)4発機でのエンジンコントロールでの
懸命な操作にはプロならではだったでしょう。
また、羽田に戻ろうとした責任感でしょう、通常は30度までしか傾かない機体が40度で急旋回。
しかし、羽田、横田基地への受け入れ無線の連絡もむなしく、南西の風に押されるがまま急降下の末、だったそうです。。



犠牲者には心より哀悼の意を。そして「本当の原因」が表明される事を願います。